私が今の会社に勤め始めた頃、業界のトップにいたAさんにはとてもかわいがってもらった。とても熱い人で、業界の為に一生懸命だったAさんが、数年前に引退した。その後、数年間はあまり連絡をとって居なかったのだけれど、今年の初めに会社に1通の年賀状が届いた。
達筆で素敵な字を書くAさんの年賀状を頂いて、ふと住所を見ると私の知っているご自宅ではなかった。そこは、介護付有料老人ホームの住所だった。仕事が一段落する夏頃に連絡をして、一度お顔を拝見しに行きたいと思っていた。
先週末にその願いが現実のものとなった。介護付有料老人ホームという事は、どこか悪いのだろうか?認知症が進んでいるのだろうか?などといろんな事が頭をよぎる。それでもAさんに逢うことが楽しみだった。
私の仕事は、男社会で、女性はほとんど居ない。取引先はほぼ男性。しかもほとんどが一廻り以上年上の方々ばかり。そして、全て社長さん。そんな中で、大学卒業すぐの小娘だった私が18年間やってこれたのは、Aさんや、Aさんの周りに居た方々のおかげである。
逢いに行く前々日に、突然電話があった。もしかしたら逢うことを断られてしまうのか?と心配していたけれど、電話で話をしている間に、Aさんは安心してくれたのか楽しみに待っているよと言われ、ホッとした。
実は老人ホームという場所に行くのは人生で初めてだ。どんなところかも全く知らない。社会科見学の気分にもなれちゃうな~と思いながら、ワクワクして当日を迎えた。デパートでスタッフさんの手土産を買って、Aさんと一緒に食べるおやつを選んで、いざ!出発♪ 気分は、遠足である(^-^;
その介護付有料老人ホームは、最寄り駅から15分くらい歩いた場所にある。とても雰囲気の良い町並みを歩き、坂を登りまくった丘の上のような位置に建っていた。ちなみに、ここの有料老人ホームだが、おそらく私たちサラリーマンには手が届かないような高額な料金がかかる施設である。入居一時金は○千万円。月の費用が○○万円(社会人一年生の初任給より遙かに高い)。そんな高給老人ホームってどんなところなんだろう?と思って、少し楽しみだった。
施設に着くと、まず入口で土足厳禁の為、靴を脱がされスリッパに。そのままトイレへ案内され、手洗いとうがいをさせられた。まぁ当然である。病院もこのくらいすればいいのに・・・と思う。そして、いよいよご対面。エレベーターを上がったそこのフロアにAさんが待ち構えていた。
御年79歳(たぶん)。どこも悪くないでしょ?というくらい元気で、そして声が大きくて、嬉しくておもわずハグしてしまった(笑)Aさんも、ちょっと涙目になっていたが、「待ってたよ!」と言って、部屋に案内してくれた。お部屋は1ルームのような感じだが、スリッパのまま入るので、どちらかというと、ホテルのシングルルームのような感じだ。ベッドが1台と、洋服タンス、仏壇、そして洗面台とトイレが仕切りの奥にある。窓からの景色は綺麗な緑が見える明るいベランダだ。昼間に部屋には明かりが必要の無いくらいである。お部屋の壁には、習字教室に入っているらしいAさんが書いた半紙がたくさん貼ってあった。先生の添削付き。なんだかほっこりした。
部屋の前の応接で、お茶とお菓子を食べながら、いろんな思い出や、業界の話、後輩達の話を聞いた。昨年に撮ったみんなの写真を見せたりもした。自分がやり残してしまった事、力不足で済まない・・・なんて涙ぐむ事も。おもわず、もらい泣きしそうになってしまった。
あっという間の2時間半。施設は6時には出なくてはならないので、そろそろ帰りますねと、玄関で記念写真を撮って、必ずまた来ますと言い、施設をあとにした。
Aさんは、足腰もしっかりしていて、介護が必要なのだろうか?というくらいに元気だった。でも、やはり少しだけ認知の感じがある。同じ話を何度も聞いたり、話したりする。ただ、私や、一緒に行ったもう一人の名前や顔が解らないわけではない。帰り際に、名残惜しいのか、施設の外にまで出て見送りをしてくれたAさんを、スタッフさんが心配になり迎えに来ていた。
Aさんの奥様は、数年前に亡くなられて、娘さんとお孫さんがいるはずだ。たまには逢いに来るのだろうか? なんとなく、寂しさをAさんから感じた私は、絶対にまた顔を出そうと思った。
今回、Aさんに逢いに行った事と、施設を見る事が出来た事で、自分の老後なんてまだまだ先かもしれないけれど、色々と考えさせられた事がある。
人は死ぬときは一人なのだ。私は、幸せだったと思い死ぬことが出来るだろうか?それとも、死ぬ事を考える暇も無く、通り過ぎてしまうだろうか?
Aさんの今は、Aさんにとって、幸せなのだろうか? それは本人にしかわからない事だけれど、少なくとも、私ができる事はするべきだと思った。それは自分の親にたいしても同じだと思う。Aさんと大して年の変わらない両親が居るから。
人は必ず老いて行く。それは誰もが通る道。
だからこそ、人生の時間はとても大切なのだと感じた日だった。