その能力のある人を見つけたら、半日かけても読み切れない数々の記事を読み、そして結果としては、無駄な時間を過ごしている今日この頃。
本当に無駄だろうか?
いや、無駄じゃない。きっと無駄にはなっていないと言い聞かせているだけなのか、それとも、本当に無駄になっていないのかもしれないが、今は私にはどちらでも良い。
今日、ある人に呼び止められて見せられた雑誌が、高級腕時計を紹介しているパンフレットだった。
そこには、私が知りもしないブランドの高級腕時計が1ページ1~2個写真掲載されており、ご丁寧に定価と販売個数が記されていた。
世の中のサラリーマンにとって、いくらからが高級時計なのか、そしてその高級時計を手首にしている人がどのくらいいるのかは、まったくもってわからない。けれど、察するに月給を超えたら高級時計なんじゃないかと勝手に推測する。
腕時計1個が、1ヵ月も働かなければ手に入らないなんて、高級すぎると思わない? それですら、1ヵ月働いたら買えるわけじゃない。
生活するためのお金を使った残りでは、到底買えない金額であるわけで。。。
世の中のサラリーマンの平均年収が400万円くらいと、どこかの統計にあったが、そこから考えると、400万÷12ヵ月=33.333333・・・・万円が月収である。
ボーナスはないのか?というくだらないツッコミはしないでもらって。
33.333333万円以上する腕時計を買うメリットはどうだろうか?
その腕時計を、一世一代の大仕事のごとく、自分の夢だった買い物をいざ!購入したあと、その腕時計が自分の手首にハマり、そして日常生活を送っているときに、メリットは果たしてあるのか。
それは、自己満足意外の何物でもない。
それなのに、人は高級腕時計をしている友人、知人を見ると、
凄いね~
高いんでしょう?
お金持ちだね~
と社交辞令のようにほめたたえる。
それを満足げにどや顔をしながら、いやいやそんな事無いですよぉ~
などという受け答えをする。
社交辞令に、いらぬ謙遜。 実に滑稽なやり取りだと思うのは私だけか。
この冊子に掲載されている高級腕時計は、そんなサラリーマンの一生の夢のような腕時計なんてレベルではない、実に数百万円から最高金額が8千万円クラスまで掲載されていた。
はっっっせんまんえんっっっ!!! である Σ(・□・;)
今どき、家族が住める東京近郊のマンションですら、三千万円程度で手に入るというのに、その腕時計はハッセンマンエン!!!なのである。
それを片腕にはめて、生活をすることの不自由さを考えたら、お金をいくら持っていても、欲しくないと思うのは私だけなんだろうか?
それこそ、すれ違いざまに、片腕を切り落とされてもびっくりしないような高級時計を腕にはめているメリットやいかに?
人間は欲深い生き物だ。
無いものを欲しがり、他人の物を欲しがり、他人よりも自分が勝っていると思いたがる。他人の生活と自分の生活を比べ、他人より自分が優位であると自分に言い聞かせ、他人よりも優れていると勘違いをしながら満足して生きている人のいかに多いことか。
そんなもの、捨ててしまえばいいのに。
昔、とある先生に言われたことがある。
恥ずかしいと思う感情を捨てたら、人生が楽になった。楽しくなったよと。
自分の優越感と恥ずかしいという気持ちは、同じ気がする。
人よりも優れていたい。 人より優れていない事は恥ずかしい。
人よりも良い生活がしたい。 人より貧乏な事は恥ずかしい。
人よりも人に認められたい。 認めてもらえない自分は恥ずかしい。
だから、人は高級時計を買うのか!他人と比べて、自分は、こんなにも高級時計が買えるほどの身分であり、羨ましがられるであろう存在であるという自己満足の為に、人は高級時計を買うのか!
そう理解したときに、高級時計をしている人は、他人よりも恥ずかしいと思う事を怖がっているのかもしれないと思った。
そして、私もその一人かもしれないと思った時、人生を見つめ直そうと反省した。
時は誰にでも平等なのである。手首にはめた腕時計が刻む時間はどんなモノをしていても、同じなのである。
あ、題名だけ浮いてしまった(^-^;